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字幕翻訳者 の戯言 アーカイヴ     119          < リストへ >
チョコラ!
  チョコラというのは現地の言葉で「拾う」というような意味で、ようするに不用品を拾って僅かな金銭に換えてかろうじて生活しているこのドキュメンタ リーに描かれる少年たちの生活そのものを表したような、呼び名です。蔑称ですね。

  「チョコラ!」はケニアのキンシャサの スラムで路上生活をしている、またはしていた、または更正したけどまた舞い戻った子供たちの生活にカ メラを向けたドキュメンタリー映画です。

  子供たち、というのが本当にまだ子供た ちで、見ていてクラクラします。辛くて。例えばアメリカの貧民用団地やらロサンゼルスのサウスセントラルで育っている一部の少年たちよりはよほど目が活き 活きとしているのが救いではあるのですが。何故なんでしょうね。成功者とそうでないものの陰影がアメ リカほど目に付きにくいからなのか。一応うまくいってるようにみえる他の人たちと比べる機会が少ないからか。

 それにしてもキンシャサの路上で、彼らはうち捨てら れた廃車の中だのトラックの下だので寝るのです。ごみを漁って稼いだ僅かなお金でシンナー(というか糊ですか)を買ってラリラリになってたりするわけで す。寒さと飢えをしのぐため、といって。10歳の子が合成糊の入ったビンを口の周りに吸いつけてるんで す、オシャブリみたいに。それをとり上げられるとオシャブリをとられた乳児みたいに泣くんですね。もう・・・見てられないです。
 
 すわった目で虚空を見つめ子供のことはお手上げ、という若いお母さん。密造酒を売って日銭を稼ぐお母さん。子供たちが逃げてきた田園地帯に行ってみる と、そこも緑溢れる、という感じではなく、どっちを向いても生活は大変そう。お父さんたちも大変そう。大量消費文化ではない、というだけで、のどかないい 生活なのかもしれないのですが。

 ケニアですからバラク・オバマのお父さんの出身地で すよね。彼は一時期羽振りが良かったそうですから、やっぱし厳然とした貧富の差があるわけですよね。 役人もいれば失業者もいる。

 東京なんかで生まれ育ってしまうと、機会がない、と かものがない、とか考えられないですよね。でもこの映画に切り取られた風景はどっからどう見ても「豊 かでない」です。

  その中で子供たちは結構明るいんです よ。家に帰っても辛いだけ、ということなのかな。でも明るく乗り切れる年齢の限界というのが絶対あると 思うんですよね。20越えてから同じようにゴミを拾うのも充実感、という生活が続けられるのか、と。

 これはもしかすると今残念ながら団塊世代特別サポー ト経済になってしまった日本を象徴する「派遣労働」の問題と近いものがあるのかもしれないですね。とにもかくにも生きていかなければならない、という現実 の前には手の届くことならやらないわけにはいかない、という。で、先に待っているのは何なのか、と。 スラムの子供たちが路上生活を続けても何も待ってないですよ。そんなことは皆わかっているから、なお更彼らの健気な明るさが、素晴らしい仲間の関係が、一 縷の希望が、痛いのです。

  彼らを助ける日本人がいて、路上生活す る子供をかくまったり、補助を与えたり、家族との連絡をとったり相談に乗ったり、衣服や食料を与えたり、本当に・・・すごい。無力感を感じないときはない と思いますが、前を向いて進んでいく力はどこから来るのか。

  この映画は子供に見せないとイカンな、 と思ったのでした。 たまたま自分が置かれるに至った環境を無自覚で受け入れてはいかん、と。

  私は小学生のころ、給食を全部食べないなんてけしからん、先生がスーパーマンだったらアフリカで飢えている子供たちにお前の給食をもって飛んでいくぞ!と いう戦後民主主義の権化みたいな態度を振り回す先公がいて嫌いでしたが、何かそういう錯覚を覚えるのも無理からぬことだな、と思いました。

  ただ、問題の根本は「食料が少ない」っ てことではないのでしょうに、先生。明るい未来を想起するチャレンジ精神の有無と派遣労働の是非がまったく無関係なのと同じように。経済全体の問題。今、 日本で派遣労働を調整弁にしないと経済水準が支えられなくなってきているのと同じように、社会全体 の機械的構造の問題なのでしょう。なんでなくせないんだ、といっても・・・団塊世代の退職金を減らすとか。皆の給料が減っても大丈夫な生活水準を安定させ るとか・・・。無理ですよね、すぐには。解決の途はあるのか。

 そのようなどん詰まりの状況であればほど、実際に救 いの手を差し伸べる人たちは、尊いです。「オレがスーパーマンだったら」というお題目の陰からアフリカの子供を言い訳にして目の前の子供を攻撃する教師と は本質的に違う。

  何を言っているのかわからなくなってき ましたが、この子供たちに手を差し伸べる人たちのことを悪く言ってるんじゃないですよ。

 この映画、ほんとうに生きることの素晴らしさと展望 すべき未来すらない、という辛さが一体となってあ なたを襲います。この映画から湧き上がる希望の招待が何なのか、私には今のところハッキリわかっていないのです。空元気なのは、人間が本 源的にもっている活力なのか。生きていること自体の素晴らしさなのか。その正体が何であれ、せめて「都会のスラムの方が田舎の家よりいい」という発想を子 供 が幼い時分から持たなくてもいいような社会になりますように。確かに日々やることがあってゴミ収集と換金という成果があって、仲間もできる。でも、それで おしまい。そんな人生は辛すぎる。

  この映画はこんな生活は駄目だとか、こ んな社会の問題はなくならない、救いの手を差し伸べるのは尊いとか、親は酷いとか親は素晴らしいとか、そういう押し付けがましい視点をもっていません。だ から子供たちの明るい 部分がそのまま楽しそうに見えるし、親と喧嘩してなじられたりするときの痛々しさもそのまんま。パワフルです。 意見を振りかざしていないので、見終わるといろんなことを考えている、そんな映画です。ドキュメンタリーの一つの理想形ですね。


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