Dean Shimauchi Translation
ディーン・シマウチ翻訳事務所
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字幕翻訳者 の戯言 アーカイヴ     121          < リストへ >
国道20号線@爆音映画祭
 吉祥寺のバウスシアターで爆音映画祭という素晴らしい企画をやっていました。恒例の、という企 画なのに、私は多忙にかまけてその存在をよくしらず・・・。しかも、素晴らしいんだけど、全然忙しくていけなかった・・・もったいない。行けなかったけど その素晴らしさは上映プログラムを見れば一目瞭然。

 上映作品中「こおろぎ」と「国道20号線」という、当事務所で英語字幕を翻訳した作品が2つ入ってます。どうりで最近「こおろぎ」で検索してこのサイト を見に来る人が多かったと思った。私の「こおろぎ」のページにはたいしたことが書いてないのでガッカリして去っていかれたことでしょう、なにしろ公開前に 書くものは、内容に触れないようにしているので・・・。

 さて「国道20号線」の方は去年一度、ドイツのニッポンコネクション映画祭のときに英語のエントリーを書いているのですが、そのまま日本語で書こう、と 思ったまま放置してありました。今回いい機会なのでようやく。でも英語の文章と内容は全然違いますが。

 この作品の持つ胸が悪くなるようなリアルな「地方」的感覚にクラクラしながら翻訳したわけですが、もちろんそれはこの映画に関する限り最大限の褒め言葉 なわけです。父が栃木の小さな町出身で、その可愛い田舎町がまず最初に工業団地、そしてある時いきなり国道沿いにはドでかいパチンコ、カラオケ、コンビ ニ、大型本屋、ファミレスみたいだけどそうじゃないレストラン、といったものに乗っ取られていく様を見て私は心が揺さぶられたものです。ああ、「ふるさ と」が消えていく・・・という感じ。でもそれは都会に住む私のエゴに過ぎなくて、もちろん都会は都会でしっかりいろいろ喪失しながら変貌を続けているわけ です。でも田舎の場合は環境に飲み込まれずに変貌したものがクッキリ目に突き刺さってくるところが都会とは激しく違う。都会はそういった喪失や変貌を飲み こんで覆い隠してしまうので、気づかなかったりするのとは大違いです。それと同じような風景が80年代のどこかを境に日本中に溢れたのだと思うんですが、 「国道20号線」もそのような変貌にのまれた凶悪な地方都市としての甲府を描いてます。

 近年、大手銀行が消費者金融会社を乗っ取って以来、銀行ATMとサラ金マシンが共存しているという恐ろしい状況が都会でも地方でも見られるわけですが、 地方都市の国道沿いでは巨大パチンコ屋の向かいにはATMとサラ金マシンがあり、その裏には超高金利で融資してくれるあんまり怖くないけどやっぱり怖いオ ニイサンたちがごく日常的にいる、という構造・・・。これはほとんど「ボーイズ’ン・ザ・フッド」で語られる「何故、黒人の多い地域には酒屋と銃器具店が 多いかわかるか?それは白人が黒人同士に殺し合いをさせようという魂胆だからだ。」というような社会階層的なブラック・ナショナリズム的陰謀論と重なるも のを感じさせます。金が無い者に金を落とさせ続ける罠。「そこ」から外に出て行かないように取り込んでしまう罠。経済的、社会的または学歴的な理由から先 のことを考える余裕のない者からこそ搾取する。恐ろしい・・・。地方で、人生投げて生きていくしかないような人を飲み込む闇。これは衝撃的でしたね。主人 公が甲州街道を行き交う車の群れを見ながら「どーこ行くんだ」と吐き捨てる。とてつもなくミもフテもない隔絶の表現です。

 もう一つは「カラオケ」の場面。主人公の一人である女性がヤンキー友達とカラオケするときに安室の「Can You Celebrate?」を・・・歌うんですがそのシーンを見たときに私は一つの重大な認識に至りました。他の皆はとっくに持っている認識なんです が・・・。小室哲哉さんと彼の歌姫たちの栄光を支えていたのは日本中にいる1千万(もっとか?)ヤンキー及び元ヤン&予備軍たちだったんだなあ、という認 識です。私はヤンキー的なものを毛嫌いする傾向があるので、例えば少年マガジンよりサンデーを読む、という少年だったわけです。そのことを最近まで自分で 分析できてなかったのですが、「ヤンキー文化論序説」みたいな著書が出版されるに至って、ようやく自分の中の反ヤンキーに気づいた、というわけです。閉鎖 性、群居性、群れ同士の対立性、といったところでしょうかね。

 さて自分の心象風景は置いておくとして、「国道20号線」のヤンキー少女たちは「結婚」した元ヤンの友達の悪口を言って鬱憤を晴らしたりするんですが、 実は結婚した元友達に対して「一抜けした」という恨みがあるわけなんですね。ヤンキーとしてしか確立するアイデンティティがなかったという選択肢の狭さの 向こうには普通の家庭を夢見る子供みたいな心があって、それが「Can You Celebrate?」という歌に乗せて歌われたときに私はもう・・・ズーンと心が重くなりました。私は娘の世話を見ながら近所のいろいろな娘と同年代の 子のお母さんと知り合いになってきたわけですが、そのなかでもかなりヤンキー度の高い人がいて、きっと3年くらいまでは「××ちゃんのお母さん」ではなく て「ただのヤンキー」だったんだろうなあ、とか思ったりしたわけです。地方出身者だったりね。これは一抜けして東京にきた、というあるサクセス・ストー リーなんだなあ、ということを「国道20号線」を見た後に痛感したわけです。もっとも映画のヒロインは成功者にはなれず、最悪の最後を迎えるんです が・・・。その最悪の時の直前だけカメラが寄るんですね。昔スタートレックで赤いシャツを着ている見慣れない隊員が出てきて台詞を喋ったら絶対死んでまし たけど、ちょっとそれに近い映像効果です「アップになったら、死ぬ」。主役になろうとすると死ぬ。自発性をもった途端に死ぬ。いろいろなものが示唆されて いる、心に重く残る、しかし軽妙な映画でした

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