Dean Shimauchi Translation
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字幕翻訳者 の戯言 アーカイヴ     148          < リストへ >
その街のこども
 ずいぶん前の英語字幕をやらせていただいた作品に“その街のこども”があります。神戸で阪神淡 路大震災で被災しその後、その街を離れて大人になった一組の男女(森山未來と佐藤江梨子)が別々に神戸に立ち降り、偶然出会い、小さな心の回復への道のり を夜通し歩く。

 カッチリした「はい、カメラはそこに置いてこう移動して照明あそこだから、ここにバミッとくからここまで歩いて、そこ見切れるから気をつけて、はいここ で台詞」みたいなドラマ演出からは完全に逸脱した、自由な演技と自由な演出。夜で暗いし照明も限られている中、撮影はさぞ大変だっただろうと察しますが、 ちょっと画角が外れちゃっても、それもリアルな素晴らしい画面。淡々とした中に時折感情的なクライマックスが訪れた時に、照明を一つ足してむやみにカメラ を固定したりしない、その自制心。そんなことしたらそれまで積み上げてきたものが一気に崩れますからね。でもきっと、そのような一般的な撮影方法論には頼 らない、と撮影前に皆で強固に確認したんでしょうね。そして視聴者を「その街」にいて、そこで見ている感覚に引き込んでくれるわけです。

 暗く沈んだ街の夜景が持つ人工的な感触が、復興した街が隠蔽した傷跡を逆説的に浮かび上がらせて、時間が止まったような風景の中をトボトボ歩く二人がと ても荒涼とした風景の中を行くようで、効果的。 この素晴らしい演出と演技について一度書き始めてから止めてしまったのは、東日本大震災があったからでした。

 “その街のこども”に対して私が感じていた、物理的にも心理的にも近くて遠い阪神大震災との距離。遠くの街の事として保っていた心の均衡が、3月11日 以降いきなり崩れてしまい、無理やり距離を置かないと心の安定が保てなかったような有様で、少し落ち着くまで離れていたのでした。 「災害後」の人の営みを描くにあたっては、希望を持たせたいものですが、もちろん希望だけでは隠せない傷を負って、それでもゆっくり回復しながら、時に忘 却しながら生きていくんだ、というのが“その街のこども”から伝わってくるメッセージ。

 だとすれば2026年(15年後)の三月を私達はどんな気持ちで迎えればよいのか。

 阪神大震災の被害を一切受けなかった私ですが、もう一生“その街のこども”を他人事のように見ることはできないことは確かです。

 “その街のこども”劇場版制作にあたって、テレビ放映版に付け加えられた短いシーンがありました。森山未來扮する神戸出身の青年建築設計士が、自分がデ ザインした建物の「耐震構造」について先輩とやり合う場面がありまして、これにまつわるやりとりが、3月11日以降の日本というものを身も蓋もなく暴露し ていて、やるせないです。まず、森山扮する設計士と佐藤江梨子のキャラクターのやりとり。佐藤が、将来マンション選ぶなら日当たりとかでなく耐震性で選 ぶ、と言う。それに対して「震度いくつまで耐えられる建物やったら安心して寝られるんですか?」という森山の問い。「震度7」という答え。そして森山未來 のキャラクター曰く「震度7まで耐えられるということは7以上では潰れる、とうこと。7以上で潰れなかったら、何、下手な設計してるねん、という話。(つ まり、潰れなかったら)余分なコストや手間をかけてしまった、ということだから」それに対して佐藤絵梨子「それなら、耐震10とか」「そんなのないです、 金かかってしゃあない」とにべもない答え。

 続いて回想シーン、森山のキャラクターと先輩のやりとりに若干の追加があります。100年に一度の震災に備えて完璧なビルを建てて、仮に80年目に震災 が来てそのビルでは死者が出なくても、俺たちはもう死んでるよ、というような意味の台詞を先輩は言うわけですね。クライアントも、この不況の中でそれは望 んでいない。だから森山青年が自身の被災体験に基づいて盛り込んだ対自然災害のアイディアは、コストがかかり過ぎるからと、没。阪神震災以後を考える時 に、とても象徴的な台詞です。

 もちろん、すべての人造物がどんな地震にも耐えて津波にも負けない構造を持つように造るために必要なお金をこの社会は持っていないし、物理的に地球の地 殻が発生させるエネルギーに対抗するものなど、どうやっても持ち得ない。そのことをこの短いシーンは、日本という土地に住むということの避けられない現実 として静かに提示し、私を暗澹たる気持ちにさせたわけですが、80年待つまでもなく、次の震災は来てしまった。移動する地殻上に張り付くように生活するこ との不条理が再認識されただけではありませんよね。このシーンで指摘された<コスト原理>は不可避な自然災害だけでなく、産業事故の防災管理にも適応され ていることが改めて分かってしまった。みんな前からわかってたけど、目をつぶって見ないようにしていたことですね。3月11日以来の多くの出来事は、正に 「防ぐお金も守るお金も解決するお金もないよ」ということの検証の連続のようで、故に“その街のこども”が映画版に付加した短いシーンの持つ意味は、一層 重く圧しかかってきます。

 あんなに大変な災害があったのに、いやあんなに大変だったからこそ、その時露呈した“経済社会の穴”みたいなものは、日常の中に埋没させて忘却してしま うのか。都市生活の安全を完全に否定するような災害があっても、結局耐震建築で建築業界が儲かりました程度の結果に集約されてしまうのか。

 “その街のこども”のような作品が、いろいろな問いを投げかけ続けていくのだと思います。

 「その街のこども」が増えてしまいましたね。

 大友良英の、闇に響く音楽。時に即興的に、地を這うように闇を切るように不安感/居心地の悪い人間関係/凛とした孤独感/ほぐれていくわだかまり/溶け ていく罪の意識と言ったものをまとめて表現していて、すごいです。聴けばわかる、大友サウンド。

 “その街のこども”オーストラリアの都市を巡回する2011年日本映画祭で上映されて好評だったようです。スリーサイズ等の冗談が受けたとか。以外と本 筋以外でもガッツリ観甲斐のある“その街のこども”です!

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